STELLA

好きが君だけで溢れかえるまで

恋とか愛とか

こんにちはこんばんは。

 

 

 

2017年現場納めました。お疲れ様でした。

振り返りはやるかもしれないしやらないかもしれないし。

 

 

 

 

2ヵ月ほど前にお題箱にりあこについての投稿がありました。その時にTwitterでも書いたんですけど、そこからまた色々考え続けてるしちょっと整理がてら。

お題箱に来た投稿はこちらです。

リアコなのかファンとして好きなのかわからなくなってきました(リアコだと思っていた)。これってどっちなんですかね。誰にも譲りたくないし、私だけが知っていたいと思ったりもします。だけど価値観の合う人なら共有できる部分はしたいって思います。矛盾が生じてわけわからないです。

めちゃくちゃわかりみが強いです…。

 

個人的に自分はりあこではないと思っています。が、自分めっちゃりあこじゃんってなる時もあります(笑)でも推しと付き合いたいわけでも結婚したいわけでもない。

現場に行けば同厨と話すし、情報交換(?)もする。でもわたしだけが知ってる推しの一部分もあるだろうし、同厨それぞれだけが知ってる推しの一部分もあるだろう。わたしだけが知ってる推しはわたしだけが知ってればいいし、同厨が知ってる推しはその人だけが知ってればいいと思うし。特別扱い(?)してほしいけど、だからといって他のおたくを蔑ろにしてほしいわけではないし。

そもそもりあこって何なんだ?リアルに恋をしている。それはわかる。でも果たしてりあこの「恋」とファンの「愛」は違うものなのか?想いの方向性が異なるだけで、結局根本は同じなんじゃないか?と思ってきた。人それぞれ考え方が違うっていうだけで、おたくなんてみんな一緒だよね。だからその時の状況次第でりあこにもなるしただのおたくにもなる。だって「恋」じゃないとしても、推しを「愛」してないおたくなんていないでしょう。「恋」は「愛」の一部だと思うし、その区別がつかなくなるのは当たり前のことなのでは?と思います。

 

 

 

 

りあこ云々話から発展して、わたしは推しの何になりたいんだろうってよく考えます。いやまぁ俳優とおたく以外の何者でもないんだけど、おたくにも色々あるじゃないですか。TO、オキニ、オキラ、茶の間、りあこ、繋がり、その他もろもろ。わたしは何になりたかったのか。

 

以前このtumblrを読んだ。

だんごたんぶら

豊崎愛生にとっての何になりたいのか考えた結論は『理解者』だった。
恋人未満で良かったし、友達未満でもいいから、数ヶ月後に世に出るアフレコや楽曲の話とか、仕事で困っていることとか、こっそり教えてくれるくらいでも良かった。

ここを読んでああ、なるほどなあと思った。わたしも推しの理解者になりたかったのかもしれない。ただ、推しのことを理解して、その時推しが欲しがっているだろう言葉をあげたり、相談に乗ったりしたかったのかもしれない。でも、推しはそれを一ファンに望んでいるのか?結局理解したいと思っているのはおたくだけで、わかったふりなんかされたくないと推しは思っているかもしれない。

結局俳優とおたくなんてどこまでいっても俳優とおたくにしかなれないんだろう。例え繋がっても、例え彼女になっても、根本には俳優とおたくっていう関係性があるからそれ以上にもそれ以下にもなれないんだろう。*1

でもやっぱりわたしは推しのことを理解したいと思うし、おたく以上友達未満くらいな関係になりたいと思ってる。ただ、今の推しと自分の関係性が一番ちょうどよくて、それ以上踏み込んでそれが崩れてしまうのは怖いから。踏み込んでも後悔するだろうし、踏み込まない現状にも後悔してる。俳優とおたくの関係性は不毛だ。

 

 

 

おたくの愛は必ずしも報われるわけではない。それでも現状わたしは報われてると思う。推しに出会えて良かったし、推しにはたくさん感謝している。今の関係性がわたしはすきだし、幸せだよ。今年も1年ありがとうございました。

*1:ちなみに繋がっても彼女になってもいません